2016年
以前、師走の声をきいたら、一年を振り返り「漢字一文字」をしたためたりしていました。
(清水寺のお坊さまが書くのに合わせたりして)
2016年を振り返り、思い浮かんだ一文字は「縁」。
たくさんの素敵なご縁をいただいた一年だったように思います。
年始早々に今のお家とのご縁がつながり、
大工さんとのご縁で心地良い風が吹き抜ける空間に変身を遂げ、
桃の花が満開になるお花見会に笑顔と美味しいご飯が集い、
ひだまりリトリートとして素敵な出会いがたくさんありました。
田んぼや畑では天候不順にもかかわらず、作物たちの生命力に満ち溢れ、多くの恵みをいただきました。
藍に導かれて、たくさんのご縁のもとで一期一会の染めのひとときを過ごすことができました。
義母や近所のおばあちゃんから、たくさんの暮らしの知恵を教わり、ただただ楽しく、せっせと手を動かしました。
毎日の暮らしの中で、お日様の有り難さ、恵みの雨の有り難さ、富士山や空やお月さまの美しさに飽きもせず見惚れ、一日一日が「特別」でした。
振り返ると、何一つ「自力」ではなく、あまりにたくさんの「お陰さま」に導かれ、支えられ、生かされていた日々でした。
小さな田んぼに多くの小さな生き物が暮らし、それぞれの戦略をもってたくましく生き、つながり、ひたすらに生きようとする姿がありました。
私たちが口にするものは「生命」であること。
有形無形に連綿とつながる生命によって生かされている自分。
ただただ有り難いことです。
たくさんのご縁に心から有難うございます。
新たな年もたくさんのお陰さまに感謝しながら過ごせる毎日でありますように。
(hana)
餅つき
今日は広瀬家の餅つきでした。
昨日から準備万端の杵と臼。
旦那さんのひいおばあちゃんから受け継がれてきた「おくどさん」。(かまどのこと)
今も義母が日々使っている現役のかまどです。
黒光りした様に代々受け継がれる家の伝統をひしっと感じます。
餅米を蒸し上げる頼もしいおくどさん。
蒸し上げる合間に義母は枯露柿で柚子巻きを作り置き。
今年はチーズも巻いて、さらに美味しそう♪
一度に2升3合の餅米を一気につきあげます。
熱いうちにつかないとなめらかなお餅にならないので、出際よく!
(私はつたない「手返し」の役。写真を撮ってる場合ではない(笑))
まず最初の「一臼目」は私達がいただくのし餅に。
一臼目は「臼払い」といって、神様に供えるのはニ臼目から。
そんな意味を教わることも興味深く、嬉しい。
広げたのし餅はのし棒に巻きつけて台から紙の上に移動。
親子の共同作業。
のし餅。
冷えて固まったら、義父が定規を当ててきっちりと切り分けてくれます。
鏡餅。
こちらでは「おすわり」と呼んでいます。
「屋敷神さま」や「お荒神さん」「トイレの神様」(笑)など家中の 神様に供えるために、たくさんつくります。
おすわりをつくった残りであんころ餅を。
義母が丸めてちぎり、私が餡子や胡麻をつけていきます。
餡子の小豆は今年採れたもの。
餡子は枯露柿のみで甘味をつけ、砂糖を使いません。
とても優しい甘味になりました。
丸めてちぎる担当の義母。
餡子をつけている旦那さん。
つまみぐい担当の私(笑)
あのつきたてのお餅のほわっ♡とした食感はお餅つきをした人だけの特権♪
こうして「つけこ」をまぶしながらのつまみぐいほど美味しいお餅はありません!
あまりの美味しさについつい食べすぎてしまいました〜。
門飾りの担当は義父。
「人形じんべいさん」も毎年義父が丁寧につくり、供えます。
奥にはのんびり日向ぼっこの猫ちゃん。
「猫の手も借りたいねぇ」と義父と笑いました。
義父の覚書の帳面。
お正月の準備は一年に一度のことなので、どうしても覚えるのがゆっくり(笑)
こんな覚書が親から子へ受け継がれていくのだと、なんだか感慨深いものがあります。
出来上がったおすわり。
庭の柚子を乗せてみました。
可愛い♪
広瀬家の餅つきに加えてもらって3回目の今年。
「あぁ、今年も無事にみんなで餅つきすることができたなぁ」としみじみと有り難い気持ちが湧き上がりました。
今年も無事に、健康で一年を過ごせたことに感謝。
どうか来年も同じようにみんなで餅つきができますように。
山梨へ来て、暮らしの年中行事としての餅つきに参加させてもらうようになり、餅つきって「イベント」ではなく、歳神さまを迎えるための「準備」なのだと実感しました。
毎年毎年、同じようにしておすわりを供え、お飾りを供え、神様とご先祖さまに今年の無事を感謝する。
そんな暮らしの中の年中行事を今も大切に続けられることが本当に素晴らしいことだと感じました。
婚家の伝統を受け継いでいくことの重さや責任。
親世代の暮らしの知恵を受け継ぐこと。
何より豊かな暮らしの手仕事を楽しむ気持ち。
様々に思い巡らせながらも、お腹も満たされて幸せすぎる一日でした。
(hana)
藍染職人
松本の「用の美」にたっぷり触れ、かなり興奮気味に一日を振り返りながら、山梨へ帰ろうと車を走らせた矢先。
玄関の灯りに文字が浮かび上がり、すっかり陽も暮れた薄暗がりにもはっきりと目を惹く存在感の「看板」。
一見して普通のお宅の門構えながら、勇気を出して門を叩いてみました。
(こういう時の行動力は我ながらすごいと感心します(笑))
ショップであればすでに閉店していてもおかしくない時間帯に、出迎えてくれた奥様は快く応接間に案内してくださいました。
奥からご主人が出迎えてくれて、お話をうかがうことができました!
『浜染工房』さんの3代目となるご主人は型抜きをして、お米でつくった糊を重ねて、藍で型染めをされる職人さんでした。
2代目となるお父様から手ほどきを受け、夜が明けるまで毎日修行をしたとか。
「それでもまだまだ父の足元にも及ばないし、死ぬまで極めることなんてできそうもないですよ」と仰っていました。
特別のナイフで型を切り抜く様子。
切り抜いた型を寸分違わず重ね、糊を何度ものせていくそうで、気が遠くなるような細かい作業。
新聞でも紹介され、皇太子さまに反物を献上したこともあるそうです。
特別の刃物も、専門につくってくれる職人さんがいなくなってしまったそう。
両面を研ぐのは、それだけで職人技だそうです。
持つ手の爪がしっかり染まっていて、あぁ藍染職人さんなんだなぁとしみじみ。
これは蒅(すくも)。
藍の葉を発酵させて、乾燥させた染料のかたまり。
これは明治時代の蒅で、もちろん建てればまだまだ染料として使えるそう。
石のかたまりにしか見えない。
蒅を初めて見ました!
これは蒅の品質チェックをした「証文」で、私がつまんでいる蒅で、出来立てを和紙に押し付けて判子のようにし、写ったもので品質を判断し蒅の値がつけられたそう。
浜さんの作品。
ものすごい繊細な模様!
反物の糸の原料で染めの濃さも千差万別になるそうです。
ものすごい技術力と労力にもかかわらず「全くお金にならない」そうで、浜さんの息子さんが跡を継ぐのかどうか…。
浜さんのような型染めの職人さんは、今はもう日本に5人も残っていないそうです。
お話をうかがっていたら、なんと浜さんのご友人の植物博士と浜さんで、藍の生葉染めを研究開発されたそう‼︎
おぉーっ、なんと!
ちょうど旦那さんが今夏に私が染めたシャツを着ていたのでお見せしたら、とてもとても喜んでくれました。
藍を育てて、生葉染めの会をしたことをとても喜んでくれ、「是非これからも藍の良さを伝えていってください」となんだかもったいない言葉をいただきました。
松本箒の米澤さんも3代目でした。
伝統ある家業の家に生まれること。
伝統を受け継いでいくこと。
現代のライフスタイルに合わせた「変化」と、変わらない技術力。
「ものをつくる」ということの意味。
「私達の作品は売れなくてもいいから、見てもらえるだけで嬉しい。」と仰っていた浜さん。
「結局は一子相伝が一番いい。」と仰っていた米澤さんのお母様。
それほど値のはらない「唐変木」の「用の美」。
なんだか色々な想いが胸いっぱいになり、とても考えてしまった松本の旅の帰路でした。
(hana)
『唐変木』
蔵の街 中町。
松本箒の米澤ほうき工房さんから、何か暮らしの中で活躍する物を探したくて立ち寄った街。
まず訪れたのが『唐変木』。
店内にある一つ一つがとても美しく、使いやすそうな暮らしの道具たち。
お店の佇まいから、ディスプレイ、店主さんの風貌…何から何まで目を奪われてしまう素敵な空間。
米澤さんの箒にぴったりなちりとりを見つけた!
探していた竹のトングを見つけた!
手作りしたくて作り方を探していた鍋敷きを見つけた!
他にも使いやすそうな食器、カトラリーなどなど。
驚いたのがプライス。
そんなにお高くないのです。
これなら臆することなく毎日の暮らしの中でどんどん使える♪
米澤さんの箒と同じで、暮らしの中の道具たちが「使いやすく」「美しい」って、なんて素敵なんだろう♡
ちょっと調べてみたら、このお店はあの映画「かもめ食堂」に食器などを提供し、国内だけでなく海外からもファンが訪れるお店だった。
そして松本は民芸運動のあった街。
「民芸運動とは、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事の日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。」(Wikipediaより)
やっぱり(笑)
まさに「用の美」!
「手仕事の日用品」という響きが嬉しい。
同梱されていたメッセージが素敵。
そしてショップカード。
裏面の英訳さえも美しい。
「See the truth lying inside .」
内なる真実を見つめよう。
そう。
物に込められたつくり手の想い、時間。
それが美しいぬくもりとなってにじみ輝く。
毎日の暮らしの中で手にとり、馴染んでゆく嬉しさこそ「See the truth」。
またきっと来よう!
(hana)
松本箒
長野県の伝統工芸「松本箒」。
3年前、「米澤ほうき工房」米澤さんの「荒神箒づくり」WSに参加して、もう本当に楽しくて楽しくて。
以来、ずっと大切に使いながらも、いつか大きな箒が欲しいと憧れていました。
松本箒は150年の歴史をもつ伝統工芸でありながら、ついこの間までは暮らしの必需品として使われていたもの。
掃除機が一般的に普及して、需要もかなり減ったそう。
家業を継いだ三代目の米澤さんは私達と同世代で、サッカーのコーチもなさっているそうで、とてもスポーティないでたち。
伝統の技術を受け継ぎながらも、現代のライフスタイルに合ったデザインや販売方法で、現在は注文してから納品までは2年待ちの状態。
今回は出店準備などのお忙しい最中、「この日なら」ということで、実際に工房へ伺い、柄の材質やサイズ、糸の色や束の数まで細かくオーダーし、目の前で作成していただくという、何とも贅沢な機会をいただくことが実現しました!
箒の材料は「ホウキモロコシ」といわれるイネ科の植物。
米澤さんは自ら栽培しています。
もう今は箒として使えるホウキモロコシを生産してくれる農家さんがいないので、自ら栽培することになったそうです。
海外のものと国産のものでは「しなり」などが全然違うのだとか。
今年は天候不順で大打撃だったそうです。
保管してある倉庫も見せていただきました。
とても美しく束ねられ、箒になるのを待つホウキモロコシたち。
隣では米澤さんのお母様が荒神箒の制作。
興味津々で、ちょっと(かなり)興奮気味に矢継ぎ早に質問する私に、とても丁寧に答えていただきながらも、手はどんどんと箒を生み出して。
米澤さんも途中で何度も私達の希望を確認してくださり、完全に私達のための世界に一本しかない箒を手渡してくれました。
その時間、2時間にも満たない、あっという間の職人の技!
もっともっと見ていたかったな。
もっとお話を聞きたかった!
一見すると高価なものです。
でも大切に使えば何十年も現役で使えるもの。
そこには伝統の技と、種から栽培した愛情と、私達のためだけに作られた唯一無二の「作品」。
こういう物たちが暮らしを共にしてくれる豊かさ。
それはお金では計り知れない尊さが込められているのだと感じます。
工房には米澤さんのおじいさん、つまり初代が作った箒がかけられていました。
なんと毎日現役で使われているそうです。
「他の色んな箒も試しに使ってみるのだけど、やっぱりおじいさんの箒が一番なのよね」と米澤さんのお母様が言っていた言葉が心に残ります。
手渡された時。
ずっしりと重く、何かとても温かいものが手のひらに伝わりました。
(箒自体はとても軽いのです!)
この写真は宝物です!
これから日々、掃き掃除をする度に工房の光景と米澤さんの作る姿がまぶたに浮かぶのでしょう。
『米澤ほうき工房』
素晴らしいひとときを過ごさせていただきました。
本当にありがとうございました‼︎
(hana)