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豆をつくること

日々のこと

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季節ごとに送られてくる会員情報誌。

特集がとてもタイムリーに『豆』。

 

とても腑に落ちる、心に残る文が綴られている。

 

「昔の農家は味噌や豆腐も自給ですから、畑の片隅や田んぼの畔で豆を育てたのです。豆はタンパク質が豊富ですから、豆と米と野菜があれば生きていけます。」

 

本当にお米とお豆があれば、十分豊かな食卓が広がるって実感。

そしてパントリーに1年分のお米とお豆と味噌があれば、きっと災害があってもなんとか生き延びられる。

この安心感は肚の底からどっしりと湧き上がるもので、言葉では表しきれない。

 

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「在来の豆をつくっている生産者が多いエリアは、地域のコミュニティが他より機能しているように感じます。自家採取し続けていると発芽しにくくなったりもするのですが、そういう時には近隣で豆をつくっている人と交換したり、お年寄り同士で自慢の豆を交換し合ったり。あるいは、お祖母さんがつくっていた豆を、お嫁さんが引き継いだりとか。在来種の豆の魅力は、味や形といった豆自体の存在以上に、豆をとり巻く人間関係がそこに生まれることかなと思います。現代に忘れられがちな部分が、在来種の豆の周りにはたくさん残っているのです。」

 

これは本当に実感!

今年、実際にお豆の交換をした近所のおばあちゃん。

おばあちゃんのところでうまく育たなかった豆がたまたま私達では採れたので、

私達が持っていない品種のお豆と交換っこ。

うちと同じ青大豆でも、おばあちゃんはもう何十年と種を取り継いできてるそう。

そのことを話すおばあちゃんの言葉の中に、どこか手前味噌的な誇らしげな思いがこもっていたっけ。

お豆を通してつながるご縁が確かにある。

 

江戸時代からの「唐箕とうみ」という選別の木製機械。

虫喰いの豆を一粒一粒手で選り分けること。

手のひらの豆を見つめる、まるで我が子を眺めるような愛おしい眼差し。

 

「あぁ、そうそう!同じだなぁ〜」といちいちうなづいてしまう。

 

「虫喰いなどは手で選り分けるしかないので、これから年明けまでは、夜は家族と団らんしながらずっと豆を選っていますよ」

 

そうそう、夜の団らんに豆選別は最適!

お豆の転がるコロコロという愛らしい響きと、ぽつぽつと話すひとときは、なんだかとても良い時間。

 

豆農家は高齢化とともに激減しているそう。(豆だけじゃないのかも)

日本の豆の消費量も減遷の一途だとか。

 

ついほんの数年前まで、乾燥豆を頂いてもどうしていいか困ってしまうような私が、今は数種類の豆をつくり、味噌を仕込み、豆料理が日常になった。

我ながらよく変わったものだなぁと思う。

 

豆をつくるということ。

お豆の生命の様や、お料理のレシピ、手前味噌の豊かな幸せ…

そんなことを私なりに伝えていけたらいいなと思う。

 

(hana)